木幡社長ブログ

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手のひらの夢、おもちゃにかけた創業者の情熱

今日は、ある玩具メーカーを訪問させていただいた。


こちらの会社が作っておられるのは、まだ私が子供の頃には近所にもあった昔懐かしい駄菓子屋さんで売られていた小さなおもちゃの数々だ。


プラスチックの小物玩具で、「ポケット玩具」と呼ばれるようだが、私などには懐かしいこれらの玩具も今ではあまり目にすることも無くなった。

昔有ったおじいちゃんやおばちゃんが経営する駄菓子屋さんも、今は殆ど姿を消してしまったが、替わりに最近では、昭和ブームというのだろうか、時折ショッピングセンターの一角に駄菓子コーナーを見かけることもある。

確かにお菓子は懐かしいが、しかしそんな駄菓子売り場のコーナーには、あのお店のおじいちゃんや、おばあちゃんはそこには居ない。寂しいものだ。


話が少しそれたが、そんな駄菓子屋さんにあったようなコマやヨーヨーやパチンコなどの小物玩具を今も国産でこだわり作り続けておられるのが本日訪問させて戴いたお会社だ。
現社長は女性社長だが先代の創業社長はご主人で、40年近くも前に早くに急逝されたということだ。

その後、現社長は主婦から急に社長となられ、これまでかなり様々なご苦労なさってきたご様子だが、今日お話戴いた先代社長の思い出に、今も会社に根付くご主人の創業社長の情熱と精神の心が伝わり、感銘をうけたのでご紹介したい。


戦後の復興期、貧しい国土の津々浦々を、大阪の松屋町のおもちゃ問屋の営業として訪問されていた先代創業社長は、子供たちのわずかな小遣いで買い求めることのできるおもちゃを作りたいと創業され、以来、こどもの“手のひらに夢を”という願いで会社の儲けよりも、自社の役割はこども達の夢を育むことだと、商品開発に注力され続けたそうだ。


またその情熱と経営姿勢は、工場出荷するトラックの送り出しの際には必ず童謡をかけて見送られたというエピソードからも伝わり、このお話から、いかに創業者が熱い情熱をもって仕事に取り組まれていたのかを知り、それが今でもこうして商品として生き残りいまでもその精神が受け継がれていることに感銘をうけた。

2008年07月10日 23:50
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